ブロッコリーのパスタ【暫定】
【材料】1皿分
ブロッコリー…………………1株(小さめ)
にんにく………………………1片(みじん切り)
オリーブオイル………………大さじ1
塩・こしょう…………………適量
カッテージチーズ……………50g
パルメザンチーズ……………大さじ1
牛乳……………………………大さじ1
コンソメ顆粒…………………小さじ1/2
パスタ…………………………100g
バター…………………………5g
【手順】所要時15~20分
1.ブロッコリーを切る、芯は使わないので捨てる
2.大きめの鍋に湯を沸かして塩大さじ1溶かしたらパスタ(8分)とブロッコリーを茹でる
・茹で汁はソースに使うので残しておく
・8分茹でたらブロッコリーとパスタを別々にザルに上げる
・茹でる間ににんにくをみじん切りにする
3. オリーブオイル大さじ1入れてにんにくを入れて弱火にかける
4.にんにくが香り立ったらブロッコリーを入れてヘラなどで原型がなくなるように潰す
5.塩コショウ、牛乳、コンソメ、バター、茹で汁を大さじ1を加えて味を調節する
6.手早くパスタとソースをあえて、チーズをかけたら完成
ブロッコリーとパスタを同時に茹でれるというテーマで何回か作っているのですが、今のところ一番美味しくできたのがこれです。改良できたら更新するつもりです。
ぐずぐずに煮たブロッコリーをソースにするだけでも美味しいです、がそれだけでは物足りないので塩コショウを多めにかけるのがコツです。
チーズはカッテージチーズが一番良かったです、今のところ。
写真はミックスビーンズを入れていますがなくても美味しいと思います。
ポケモンGOを始めて、辞めた話
ポケモンGOがリリースされたのは2016年7月、前期試験前の時期だったように思う。
周りに釣られてまんまとやり始めたが仕様を詳しく調べたりはせず、登下校中に見つけたら捕まえる程度でジム戦はしないライトプレイヤーだった。
9月、鳥人間の交流会で東京に行く機会があり、上野の安いカプセルホテルに泊まることにした。夜18時頃、宿に到着し暇だったのでポケGOでもするかと思い、散歩を始める。そしてたどり着いたのがあのミニリュウの聖地、上野公園の不忍池だったのである。
たどり着いたとき視たものは、それは異様な光景だった。
大勢のポケモントレーナーと思わしき群集が、各々のスマホをしきりに確認しながら座り込んだり立ち往生しているのである。100人はゆうに超えていたかもしれない。そして次の瞬間、一斉に群集が同じ方向に向けて歩き出した!!何が起きたのか分からず、ついていくと群集が足を止めたそこにはミニリュウが居たのである。初めてミニリュウを捕まえた喜びと、異様な光景に圧倒されたのも束の間、また群集が一斉に移動、ついて行くと今度はハクリューが居た。
この群集は約5分おきに一斉に移動しミニリュウを捕まえ、立ち往生を繰り返していた。彼らは「ここにミニリュウが居るぞー!!」とは一言も発していない。示し合わせたようにまた無言で動き出すのである。怖い。
この異様な光景の謎を暴かねば、と勇気を振り絞って近くに居たカップルに尋ねた。
カップルはポケモンの発生位置を特定する”外部アプリ”の存在を教えてくれた。なるほど皆それを合図に移動していたのだ。
カップルと打ち解けた後は、きのみの使い方、固定エクセレントスローのやり方、ジム戦の仕様、ポケモンの個体値や、カイリューの最強の技構成など1から10まで教えてもらった。はがねのつばさという技が一番使えないカス技で、りゅうのいぶきが一番良いとのことだった。二人はほんの数日前に朝から並んで購入したポケモンGOプラスを腕に巻いてるのを見せてくれた。なんてかっこいいんだ・・・。
もはやポケGOの師匠である。
師匠たちとの別れは名残惜しかったがもう会うこともないだろうと連絡先を聞くことはなかった。
すっかりポケGO魂に火がついた私は、次の日早朝6時から不忍池に行き、時間の許す限りミニリュウを捕まえまくった。時にはミニリュウが池の中に発生して捕まえられず、苦汁を飲んだりした。4 時間くらいやっていたと思う。そしてついに、私は念願の個体値100%、奇跡のミニリュウを捕まえたのだった。このときの感動は今でも鮮明に覚えている。ニックネームは”神”にした。
ここまでが私がポケGOを本格的に始めた話である。
辞めたきっかけはその神が進化してはがねのつばさを覚えたからである。すぐにアンインストールした。
物語について
いつか学校の先生が言っていた言葉で、「物語(story)というのは星座のようにバラバラの事実を関連づけて都合よく構築されたものであって、星(star)を名詞化(-ry)したものなんだよ」という話が好きだった。
つまり物語というのは事実の堆積ではなく、語り部のセレクションによって決定される。例えば志望動機の根拠となりそうな体験だけを並べて関連づければ、あたかも御社の為に人生を歩んできたかのような物語が形成されるのだ。
これは物語の曖昧さの提起であると同時に、物語は自分で作って良い、という希望でもある。
しかしネットで調べたら先生が言っていたような記述は一切なく、この話は都合よく構築されたものだった。
ヨハネスブルグにて3
滞在41日目。残すところ4日だ。
基本南アフリカの人たちは8時出勤の16時退勤なので15時半までに作業が終わらないと帰り道は渋滞に見舞われる。こういう時Googleマップは便利で、遠回りだが混んでない抜け道をサジェストしてくれる。いわゆる捨て左折である。
しかしお世話になってるwits大の準教授は最近夜中2時まで研究室に篭り朝10時には大学に来ているようで、どの国でも研究者だけはブラックなのだと思った。この国でブラックなんて口が裂けても言っちゃいけないが。
黒人の良いところは、僕たち黄色人種に対して非常に寛容であるところだ。被差別側だったからか、白人と比べて差別意識が少ないと思う。モールで歩いていると小学生の頃の登下校かというレベルで気さくに挨拶してくれる。挨拶はほとんど你好だが。中国が日本と比べてアフリカにどれだけ出資しているか痛感する。
自分は日本人だと言うと、驚いたリアクションをした後、二言目には空手知ってるぜと言ってくるのがテンプレの反応だ。空手がこんなにグローバルだとは知らなかった。BABYMETALがKARATEという謎すぎる曲を出したのも、今なら頷ける。
ヨハネスブルグにて2
滞在28日目。
ヨハネスブルグの特筆すべき点は2つある。
1つ目は治安が悪いところ。アパルトヘイトが終わったせいで逆に収入格差に歯止めが利かなくなり、街中を浮浪者がうろついている。日本人は狙われやすいので車無しに移動は不可能だ。交差点に止まると浮浪者が近づいてきて金をせがまれるが絶対に目を合わしてはならない。
2つ目はとんでもなく肉が安いところだ。レストランでステーキを満腹になるくらい食べても千円ちょっとで済む。自炊ならなおさら安いし、肉料理は焼くだけなので簡単。毎日熟成牛肉やラム肉ステーキ、ハーブ入りソーセージを食べている。アメリカ人が糖質制限ダイエットを考案した理由がよく分かる。
以上の2点から只今絶賛太り中である、助けてくれ。
ヨハネスブルグにて
滞在21日目。
平成最期の夏とタグ付けられた画像がTLに流れているが南アフリカは冬から春への変わり目だ。
アパルトヘイトはアフリカーンス語で"隔離"を表す言葉で、ヘイトの意味はないらしい。
展示の説明文が難しくて自分の不勉強を悔いた。
こっちに来てビールを頻繁に飲んでいる。
南アフリカではビールがコーラよりも安い。
これは金のない黒人奴隷に休みの日にビールを買わせて酔っ払いにさせるというアパルトヘイト政策の名残りだ。スーパーにワインは売っているが、ビールは酒屋にしか売ってないので買い物が面倒。白人はビールを飲まなかったんだろうか?
南アフリカに来る際に絶対に日本から持って来るべきは顆粒スープの素である。これはどこにも売ってなかった。
あと、南ア人は辛いものが好きなのでお土産は柿ピーが1番良い。渡すと満面の笑みを浮かべること請け合いだ。とても安上がりである。